先日こちらの記事にも書いたように、11月は「写真のSNSシェアをやめる」と決めてみました。
まだ11月が始まって少ししか経ってないのですが、今まで当たり前に写真をシェアしてきた自分にとっては、いろんな気づきがありました。
写真シェアをやめて気づく「自分が選びたいもの」
これを言うのはちょっと抵抗があるんですけど、写真をシェアしないと決めた途端、選ぶものや時間の使い方がかなり変わりました。
要するに、よく「インスタ消費」的な感じで考察されているような現象は、自分のなかにも起きていたんだな、と。
(自分的には「いや、わたしは違う」と思ってたんだけど…勘違いもいいとこですね)
例えば今朝、いつも通り仕事をするためにスタバに行ったら、紙カップがクリスマスっぽいデザインになってたんです。
おそらく、写真をシェアする毎日だったら「かわいい!写真に撮ってTwitterにあげよう!」と思ってたと思います。
ただ、今のわたしは写真を撮っても「シェアしないぞ」と決めています。
しかも、店内で飲むのだから、機能的には紙カップではなくマグカップで大丈夫。
さあ、この状況でわたしはどちらを選ぶのか…?
店員さんを目の前にして「ホットのラテ、ショートで…」まで言って、5秒ほど沈黙してから「マグカップで」と付け加えました。
かわいい紙カップは、SNSでシェアしなくたって、わたしのテンションを上げてくれるかもしれない。
でも、席に着いてPCを開いてしまえば、わたしにとっては見た目はもう関係なくて、機能としてのカフェラテさえあればいいかな、と思ったのでした。
こういうことが、1日の中に何個か出てくるんです。
だから、写真のSNSシェアは、わたしの日常にとって結構大きな割合を占めることだったんだなーと感じています。
写真をシェアする日常の中にあったもの
SNSのために写真を撮るのをやめてみると、
- ただ、自分が今ほしいかどうかだけを考える
- 誰かと一緒にいる時は、その人との時間だけに集中する
ということに気づきました。
要するに、写真をSNSシェアしていた時は、
- 価値ある情報(写真)をシェアしたいと思う
- 人から良く見られたいと思う
- 一瞬でもSNSのことを考えるため「今ココ」から意識が飛んでしまう
自分は意識してなかったけれど、こんなことが頭の中にあったんだと思います。
わたしはSNSもブログも好きだし、ライターをやっているぐらいだから情報発信も好きなので、そういう消費の在り方も楽しめていればいいと思ってます。
ただ、知らず知らずのうちに、いつでも「誰かの視線」を前提に行動してしまっているとしたら…
それは「自分が好きだから」や「自分がそうしたいから」といった「自分らしさ」を削ることにつながるかもしれないな、と感じました。
おわりに
「いつも当たり前にやっていること」をやめてみると、意外な「自分」に気づくことが多いです。
今回の「写真をシェアしない」というトライも、自分の選択のひとつひとつに「写真」や「SNS」が絡んでいることが見えてきて、おもしろいです。
他人とか、SNSとか、そういうの一切関係なく「自分が選びたいもの」を選ぶ。
1カ月間それを続けたら、どうなるのかな。写真シェアしたくなるのかな。
それとも、何か違う景色が見えるのかな。
また、何か気づいたことがあったら、ブログを書こうと思います。
(ちなみに、ブログの写真は引き続き自分で撮った or 自分が写った写真です)
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