わたしは、なぜ「書く」のか。
もしそう問われたなら、「誰かに届けたいから」と答えます。
「届けたい」と言う書き手は結構多いので、勝手に「書き手はみんなそうなんだろうな」と思っていたんですけど…
ライター友達の狩野さんから「その感覚、わたしにはないから不思議」と言われた時に「当たり前じゃないんだ」と気付きました。
じゃあ、わたしはどうして「届けたい」と思っているんだろう?
過去を振り返りつつ考えてみると、たぶん小学生の頃に感じた恐怖が、原動力になってるんじゃないかと気付きました。
誰かに届くことで成立する、わたしの「書く」
「もしも今死んだら、わたしが、なかったことになるのかな」
小学生の頃、両親の離婚を知ってからしばらくの間、ずーっと心の中にあった感覚。
当時、死の危険にさらされていたワケでもないし、両親はおそらく今も昔も変わらない思いで居てくれてるのだろうけど…
RADWIMPSの『ふたりごと』という歌に出てくる「私」と、だいたい同じようなことを考えていて。
その時に生じた「わたしが、なかったことになるのかな」という恐怖と、「そんなの嫌だ」という強い想い。
それが、わたしの「届けるために書く」原動力となっています。
既に当時から、インターネットで自分の想いを言葉にして発信したりもして、自分の生きる意味をどうにか模索してた気がする。
今も当時も変わらず「誰かに届けること・受け入れられること」によって、自分がこの世界で生きている必要性を確認している感じ。
だから、誰かのためを想って「届ける」というよりは、もっと自分本位な「わたしの言葉が届いてほしい」という祈りに近いです。
ライターとして「書く」と、自分が「書く」の違い
ライターという職業は、「届ける」まで設計して書くことで成り立つ仕事です。
そういう意味では、一見わたしはライターに向いているように見えるかもしれません。
たしかに向いている部分もあるとは思うんだけど…、既に書いたように、わたしの「届けたい」の裏には「自分の言葉が届いてほしい」というエゴが見え隠れします。
ライター仕事では、多くの場合「自分のエゴ」は入らない方がいいです。
だから、ライターとして書く時はなるべく「自分」を消そうと試みます。
でも、ライターとしての「書く」では満たされない自分がいるからこそ、「自分の言葉を届ける」ために、こうしてブログやSNSで「書く」をしているんだと思います。
おわりに
わたしの場合、「届く」のならば文章じゃなくても全然良くて。音でも、物でも、手段は何でもいいんです。
ただ、いま自分にできるのは「書く」ことだから、書いて届けることで、自分が生きてることを実感する。
この記事はライター狩野ワカさんと一緒に始めた連載「書くことについて、二人のひとりごと」の第1回目なのだけど、狩野さんはどうなんだろう?
自分の「当たり前」が当たり前じゃないと知った時、「あぁ、これって自分らしさなんだ」と実感できる気がするので、ぜひ知りたいな。
ライター友達の狩野ワカさんと「書くことについて」の連載をやっています。
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