「歌のような文章を書きたいんです」
ライターの狩野ワカさんとの共同連載「書くことについて、二人のひとりごと」のはじまりは、わたしが狩野さんにこんなメッセージを送ったところから。
個人的な感覚ではあるのだけど、特にWebの文章は、その時々で「ふむふむ」と思いながら読んでも、次の瞬間にはもう忘れ去られている…なんてことも少なくない気がしています。
もちろんエンターテインメントとして、そのあり方も良いと思ってます。人は新しいコンテンツを求める生き物だし。
でも、わたしは「繰り返し読まれるもの」を書いてみたい。
そのヒントが「歌」にあるのではないかと思っていて、これはもう、ずっと考えているテーマです。
繰り返し思い出されるのは「生活の中で機能する言葉」なのかも
なぜ「歌」は繰り返し聴かれて、思い出されて、心に残り続けられるのか。
以前、作詞家のいしわたり淳治さんが「たくさんの人に聴かれる歌は “生活の中で機能する言葉” がある」と言っていました。(ちょっとうろ覚えですが…)
それを聞いた時「なるほど、わたしの目指したいものはそれなのかもしれない」と、ぼんやり思ったんです。
生活の中で機能する、つまり、その人の生活に入り込む言葉。
ある状況の中で口ずさみたくなったり、考え方の転換点となったり。
なんでもいいんだけど、自分がそういう「言葉」を書きたいと思うようになりました。
例えば、
- こういうシチュエーションになると、この言葉を思い出して勇気が湧いてくる
- その言葉を「あの人」に伝えたくなる
そんな言葉。
読んだ瞬間に「あぁ、おもしろかった」と思ってもらえるのも嬉しいんだけど、それ以上に、どこかに引っかかって、そこから自分の思考が広がるような言葉。
おわりに
生活の中で機能する言葉を書くためには、まず自分の生活の中で深く機能した言葉じゃないとな、と思います。
要するに、自分の心に深く引っかかった何かを、言葉にしていく。
今わかっているのは、「生活の中で機能する言葉を書くぞ!」なんて意気込んで書けるものではなさそうだ、ということだけです。
わたしはこのブログやTwitterで発信しているけれど、「何度も読み直してます」と言ってくれるありがたい読者の方もいて。
そういう声を聞くと「少しでもその人の生活の中で機能したのかもしれない」と思えて、とても嬉しいです。
直接背中を押すことができなくても、わたしの言葉が間接的に誰かの背中を押せたらいいなぁ。
ライター友達の狩野ワカさんと「書くことについて」の連載をやっています。
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