うそをつかないこと。
ライターとしても、人間としても大事にしてることなんですが、これがまた難しい。
「だましてやろう」と思ってうそをつくことは、さすがにないんだけど(自分が知る限り、たぶん)…。
日々の些細なところまで、どれだけ正直でいられるか。
うっかり「うそ」をついてしまう場面
これまでのわたしが、うっかり「うそ」をついてしまったことがある場面。
- おもしろくないのに、空気を読んで笑う
- それほど行きたくない集まりに「行きたい」と言ってしまう
他者を気にして、自分の気持ちにうそをついてしまった経験は、結構あるなぁ。
文章の面でいくと、昔はこういう「うそ」も。
- 自分が本当に思ったわけじゃない気持ちを、なんとなく書いてしまう
- 思ってないのに「世間一般はこう思うだろう」と予測して書く
- 編集により自分の見解と大きく離れた記事を記名で出してしまう(出されてしまう)
特にライターの場合、自分の意見を書くわけではない仕事も多いので、仕事の受け方を気を付けていないと、そもそも書くテーマが「うそ」になってしまうこともあると思う。
(おもしろいと思ってないのに、オススメする記事を書くことになる、とか)
正直であることは、めんどうくさい
でも、こういう小さな「うそ」って、実は結構スルーしても生きていけるんですよね。
しかも、スルーせずに正直に生きるのって、とても大変です。
小さな「うそ」をつかないためには、
- 本当はどう感じてる?といちいち考えなきゃならない
- どんなにおいしい話も「うそ」につながるなら断らなきゃならない
- 時には場の空気から外れてしまうこともある
こんなことも必要になるので、結構めんどうくさいです。
それなのに、どうしてスルーしないことにこだわるのか。
最近は「信用経済」みたいな言葉もよく聞くし、たしかに人から信頼されるためには「うそ」がない方がいいと思います。
ただ、それ以上に、小さな「うそ」をそのままにしておくと、自分が自分を嫌いになっていく気がするんです。
小さな「うそ」なので、自分以外の人は気づかないかもしれない。
でも、自分は絶対気づく。
「あ、うそついた」って思う。
(そのあたりは、こちらの記事にも書いてます↓)
だから、自分のためにも、正直であった方がいい。
正直であることは、めんどうだし、いばらの道だけど、ここは絶対に手を抜いちゃいけないところだと思ってます。
おわりに
本当の自分の気持ちを考えることや、嘘をつかないことなど、いまもずっと「ほぼ日の塾」の課題に取り組み続けている気持ち。(実は3期生なんです)
参加している時はとても苦しかったけど、今もわたしの中で生きる大きな経験でした。気になっている人、ぜひ。
— マツオカミキ (@matsuo_mk) 2018年11月6日
「正直さ」について、はじめてちゃんと考えたのは、2年前に参加した「ほぼ日の塾」だったと思います。
(「ほぼ日」はコピーライターの糸井重里さんの会社です)
参加している最中と、終わった直後は、ほとんどが「苦しさ」だったんですが(楽しさもあったんですけど、8割方苦しかった笑)、今後もずっと考え続けるであろうテーマに気づかせてもらって、とても良い経験でした。
「ほぼ日」のファンが多いのは、ほぼ日が正直だからなんだろうなぁ。
わたしも、正直を意識して進みたいなと思います。
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