人は、どうして自分と他人を比較してしまうんだろう。
負けたからといって死ぬわけでもなければ、勝ったからといって幸せになれるわけでもない。
そんなこと、頭ではわかってる。
でも、「自分の価値」が他人との比較によって決まるものだという思い込みは、なかなか消えない。
だからこそわたしは、「比較しなくていい場所」へ逃げた出したんだと思う。
比較して「努力が足りない」と思い込むループ
わたしの比較グセがピークをむかえたのは、会社員だった時のこと。
もともと「自分は頑張らないと認められない」みたいな超絶低い自己肯定感の持ち主だったけど、それに輪をかけるようにして、もはや狂ったように比較していたと思う。
あの人は成果出してるのに、自分は…
あの子は可愛がられるのに、自分は…
あの子はオシャレなのに、自分は…
そして、その結論をすべて「自分の努力が足りないからだ」と決めつけた。
だから、努力する。
でも、比較は止まらない。
能力、人間関係、容姿、恋愛、性格、もはや何でも比較できた気がする。
「他人と自分を比較しても意味がない」というアドバイスもあったけど、
自分だって、比較しなくてすむならばしたくなかった。
でも、どうすれば比較しなくてすむのか、わからなかった。
だからわたしは、比較競争の場から逃げ出したんだと思う。
人と比べるのをやめるために、競争の世界から逃げ出した
逃げ出したというのは、例えばこんな風に。
- 会社にいると能力を比較する
⇒会社員をやめる - 集団に所属すると容姿や人望を比較する
⇒大勢の集まりはいかない - SNSでリア充度を比較する
⇒いったん全部SNSをやめる
「そこにいると、自分は比較してしまう」という場を、ことごとく避けることにした。
逃げたからって比較しなくなるワケではないのだけど、比較対象と触れる機会を少なくすることで、比較している時間は段々と減っていった。
何より、「他人と比較しないようにする」よりも「自分を生きる時間を増やす」のが大事だと、その時のわたしは考えた。
「他人と比較しないように」を頭の中に置くことは、結局「他人との比較」にフォーカスすることになってしまって、上手くいかなかったから。
それよりも、いったん比較から離れ、比較なんか忘れて楽しんでいる時間を増やそう、と。
没頭している時間、熱中している時間を増やすことを大事にした。
だから今、もし競争の中に身を置くとしたら、また前に戻ってしまうかもしれない。
でも、自分の身を置く場所は自分で選べる。
自分で選んでいいのだと知っているから、競争世界に戻る必要はないと思ってる。
自分のクセを自分がちゃんと把握して、それを上手く操縦して、自分の目指す方向をに進めばいいと思うんだ。
おわりに
ちなみに、会社員だったのはもう5年も前のこと。
でも、まだ「比較なんてまったくしない」なんていう境地には至ってません。
それでも「比較して落ち込むこと」は圧倒的に少なくなったし、よっぽど今の方が生きやすいなと感じてます。
だから、比較してしまって苦しんでいる人は「比較をやめよう」と努力するよりも、比較してしまう場と距離を取ってみて。
その上で「そんなこと考える暇もない」と思える時間を増やしていく方が上手くいくかもしれないよ。
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