生きづらい人の居場所としてのインターネットであってほしい、という話

SNSのフォロワー数を増やすこととか、自分の発信をより多くの人に見てもらうこととか、今や「よくある話」だと思います。

10年前だったら芸能人や有名人だけが気にしていたような「フォロワー数(ファンの数)」を、今や多くの人が気にしているというか。

もちろんわたし自身もその一人で、自分の発信がたくさんの人に見てもらえたら嬉しいし、フォロワーさんが増えたら少し肩に力が入ったりもします。

きっと同じように「肩に力が入る(いい意味でも、悪い意味でも)」人は結構多いのではないかと思っています。

例えばTwitterなら、ツイートがバズった後にあまりつぶやかなくなってしまう人もいたり。

もしくは、フォロワー数を増やすために、既に誰かによってフォーマット化されたやり方で「どこかで見たような発信」になってしまったり。

(それについては、この記事にも書きました↓)

「自分ならでは」のアウトプットをするために必要なこと

2018.08.21

本来Twitterもブログも「自分を発信する場所」だったはずなのに、いつの間にか「誰かの期待に応える場所」になっていく、もしくは「共感されること以外許されない雰囲気の場所」だと思い込んでしまう。

それを望む人にとってはそれでいいと思うんですが、そうじゃないのに勝手にプレッシャーを感じて、発信しにくくなることもありそうです。

わたしもこれまでに何度かその思考に陥っていて、そのたびに「いやいや、そうじゃないよな」と、思い直してます。

いろいろ考えちゃってブログが書けない…完璧主義者が陥りがちな思考とその解消法

2017.10.16

(↑昨年、何を書けばいいのかわからなくなった時のブログ)

リアルの雰囲気に近づいていくインターネット

もう一つ気になっているのが、「段々とネットがリアルっぽくなっているような気がする」ということ。

わたしがネットで検索をする時って、わからない事を検索して情報を得る使い方はもちろんですが、リアルでは共有できない悩みや、分かち合える人のいない趣味についての情報を探して「あ、自分と同じ人っているんだ」と安心していました。

要するに、「リアルでは聞けない」ことこそネットに頼っていたんです。

今でもネットにそういう側面はあると思うけど、なんとなく全体の雰囲気として「あんまりリアルと変わらなくなってきたな」と感じています。

例えば、

  • 共感される発信こそ有意義という雰囲気
    ≒リアルでの空気を読む的な行為
  • SNSのフォロワー数を気にする
    ≒リアルの友達が多い方がリア充みたいな考え方

のような。

ネットがリアルに近づいてしまうせいで、「リアルで言いにくかったこと」がネットでも言いにくくなってしまったら嫌だなぁ、と勝手に思ってます。

おわりに

何が言いたかったかというと、わたしはインターネットの「リアルだと共有できない悩みや辛さも受け入れてもらえる感覚」が好きだから、そういう場所としての機能はなくならないで欲しいなぁ、と思っています。

自分自身も会社を辞める時や、メンタルが弱った時、会社を辞めた後に「自分は社会不適合なんじゃないか」と悩んだ時に、助けてもらった経験があるから。

だから、このブログや自分のTwitterは、誰かのために、というよりはむしろ、まず自分が正直であることを突き詰めたいなと思います。

正直であること、言いにくいことも書くことが、めぐりめぐって誰かの気持ちを少しでも軽くできたらいいな、と思いつつ。

 

こちらの記事もどうぞ~

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「変わってるね」と言われてツラい人は、生きる場所を間違えているかも

2017.03.08

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