孤独と「ひとり」を考えてきたから、それが自分の軸になってる

ひとりぼっちだ、と思ったことはありますか?

わたしが初めて「孤独」について考えたのは、小学校高学年の頃。

当時、転校や家庭環境の変化なんかがあって、わたしは勝手に「ひとりぼっちだ」と思っていました。

あの時のわたしの実感は、「このままだと、これから一生孤独なんじゃないか」という絶望も混じっていたように思います。

その感情は、いつもベッドに横たわるとやってきます。暗闇のなか「わたしが死んだら、誰か泣いてくれるだろうか」なんて考えていて、それは今でもわたしの人生に大きく影響していたり。

泣いてほしい、というよりは、憶えていてほしい

当時、10歳そこらだった自分は「誰が死んでもかなしいけど、泣いてしまうほどかなしいのは、本当に好きな人だろう」と考えました。

だったら、自分が好きだと思える人、そして自分のことを好きでいてくれる人と、一緒に過ごしたい。そう思って以降、人間関係においては「本当に好きな人」とだけ一緒にいるようになりました。

お互いが死んでしまった時に、「一瞬悲しい」ぐらいで過ぎ去ってしまう人と時間を過ごすのはもったいないと、無意識に思ったんだと思います。

わたしがいなくなってしまったら、悲しんでほしい。

誰かの記憶に、残っていたい。

これは傲慢で自分勝手な考え方だよなぁ、とも思ってきたんですが、先日コピーライターの糸井重里さんがの対談記事を読んで、「そうか、だから『誰かに憶えていてもらいたい』と思ったのかもしれないな」と感じました。

ぼくらはみんな
悲しむことまで含めての
「関係」ですから。

幡野さんも悲しくて、
友だちも悲しくて、
みんなで一緒に悲しんだね、
ということじゃないですか。

https://www.1101.com/hatano_itoi/2018-09-06.htmlより引用

写真家で、ガンの余命宣告を受けている幡野さんとの対談の一部です。

つづいて、こんなことも言っています。

ぼくや幡野さんが
いなくなったあとも、
みんながそこに
連れて行ってくれるんですよ。

つまり、
みんながベトナムやら
チリやらスペインやらで、
「ああ、
幡野さんがいたらよかったね」
って言ってくれるんですよ。
それは幡野さんが、
そこに「いる」ということ
なんです。

ぼくはだから、
もしもじぶんがいなくなったあと、
みんなが泣いてくれたとしたら、
「やったな」と思いますね。

https://www.1101.com/hatano_itoi/2018-09-06.htmlより引用、強調追記>/small>

さらに個人的な意見を付け加えると、わたしは、自分がいなくなるその瞬間に「ひとりぼっち」になりたくないんだと思います。

「ひとり」も好きだから「ひとりの時間」も大事にしているし、究極的に人間は「ひとり」なんだけれど、だからこそ他の「ひとり」である誰かと繋がりたい。

逆に言えば、深く繋がっていられる好きな人たちがいれば、「一時的な孤独を満たすためだけの関係」は「わたしには必要ない」と思っているんでしょう。

おわりに

ここまで人間関係について書いてきましたが、小学生時代のまつおかみきが感じた孤独は、今のマツオカミキのキャリア観にも影響を与えています。

わたしは就活のころからずーっと「誰かの記憶に残る仕事がしたい」と思い続けていて。

それも、やっぱり「わたし」を誰かに憶えていてほしいからなんですよね。

 

今回は「ほぼ日」の記事をきっかけにこんなことを考えたんですけど、そういえば「ほぼ日」のスローガンは “Only is not Lonely.” ですよね。造語だそうですが、わたしは好きです。

このスローガンに込められた理由はここに書いてあるのだけど↓

Only is not Lonelyについて│ほぼ日刊イトイ新聞

わたしは勝手に “「みんなと違う」からといって「孤独」ではない” と解釈しています。

だからこそ、孤独を感じているわたしが、同じく孤独を感じている人と気持ちを共有できるように、こうしてブログに書いているのかもしれません。

 

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