自分には、なんの才能もない。
わたしは凡人のなかの凡人で。どうしてみんなはそんなに優秀なの?
自分に向いていることや、自分が持っている能力なんて見つからなくて。
当時は「自分だけの能力」を探してしまっていました。
結論から言えば「自分だけの能力」なんて、ない。でも「特別な能力」は誰でも持ってるんです。
自分だけの特殊能力は、見つからなかった
子どもの頃は「自分にしかない、特殊能力を持っているんじゃないか」なんて思っていました。
セーラームーンみたいにいつか街の平和を守る存在になるかもしれないと夢みていたし、サトラレみたいに人の思考が読めるようになってしまうかもしれないとか思ってた。
でも結局、その時夢みたような「自分だけの特殊能力」なんて身につきませんでした。
自分は凡人なんだ、っていつの間にか思うようになっていきます。
そこから20代前半までは、自分にないものばっかりにフォーカスしていたと思います。
みんなは人と上手くコミュニケーションをとれるのに、わたしにはできない。
みんなはこの場を楽しめるのに、わたしは楽しめない。
「わたしにだけできること」を探していた幼少期から一変して、わたしはいつの間にか「自分だけができない、劣っていること」に焦点を当てるようになっていて。
正直、生きることを楽しめていなかったと思います。どっちかというと苦しかったし。
じゃあ、「自分だけにしかできないこと」を持っていなかったら無能なんでしょうか。
当時のわたしはそう思っちゃってたけど、実際はそうじゃない。
そうじゃない上に、わたしは「自分だけの能力」を探し求めていたせいで、自分が持つ「特別な能力」を見落としちゃってたんです。
当たり前すぎることが「特別な能力」
わたし、トリハダが立つんですよ。感情のまとまりが見えた時に。
例えばライブとか。アーティストが出てきて煽った時の盛り上がりの瞬間。
もしくは学校の行事とかもそうでした。体育祭とか、文化祭とか。
強い共感とか、熱狂とか、そういうのが好きなんですね。そういう時にトリハダが立つんです。
あと、自分の目の前で誰かが自信を持った瞬間にも、トリハダが立ちます。
それまでは自信なさげだった塾の生徒が「わたし、もうコレ完璧にできます」って言った時、わたしはトリハダが立つんです。
それって当たり前だと思ってたんですけど、隣にいた友達にビックリされました。
「ええ!めっちゃトリハダ!いや、感動するのはわかるけども!」
そう、これはわたしにとっては当たり前のことだったんですが、みんなにとっての当たり前じゃなかったんですね。
「ああ、これって特別な能力なんだ」って思いました。
共感とか熱狂、それと人が自信を持つようになる瞬間。こういうのを見ると、わたしは全身で喜びを感じるんだって。
ここまでの喜びを感じるのは特別な能力であり、自分が全身で喜ぶことをやるべきなんだ、と思いました。
気づけるかどうかで、大きく変わる
「自分だけにしかできないこと」なんて、たぶんそんなに多くない。
それを探すよりも、自分の当たり前の中にある「特別な能力」に気付いてあげることで、人生って大きく変わると思ってます。
わたし以外にも、共感とか自信に反応して喜びを感じる人もいるでしょう。
でも、他に同じ能力を持っている人がいるとか、そんなの関係ないんです。
人生は能力で優劣がつくようなものではなくて、結局は楽しめるかどうか。
自分にとって向いていて、喜んでできることがわかれば、勝負の世界ではなく楽しさの世界の中で生きられるんです。
自分にとって心が強く動かされることってなんですか?
トリハダが立つとか、身体が自然と反応してしまうものってなんですか?
自分が当たり前だと思っていることは、たいてい誰かにとって当たり前じゃないことです。
自分の能力に気付いて、最大限活かしてあげると良いのかなって思います。
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