「もう頑張れない」
いくら頑張っても自分の理想や周囲の期待に到達せず、自分の中がカラカラに乾いていて、これ以上絞っても何も出そうにない。
「これ以上はもう頑張れない」「もう何もかもやめたい」
と本気で思ったことがあります。ちょっと過激な言葉を使うとすれば、死をイメージしたことも、何度か。
でも、そのときに “あること” に気づけたからこそ、今それなりに楽しく生きているわけで、今回はそれについて書こうと思います。
わたしが「もう頑張れない」と思った経験
子どもの頃から、ずっと生きづらさとともに育ってきました。
その話はこちらのブログに。
最初に「もう頑張れない」と本気で思ったのは、中学1年生のとき。
当時わたしは先輩からいじめにあっていて学校に居場所がなく、休みがちに。とはいえ、家庭の事情から家も「自分の居場所」として感じられず、「自分の生きている意味って何だろう」と考えていました。
次に思ったのは、社会人1年目のとき。
大学を卒業して入社した会社で、人間関係も仕事も何もかも上手くいかず、適応障害になって休職。みんなが当たり前にできることすら、できない自分。
「わたし、もう頑張れないな」
生きる意味がイメージできず、自分のいない世界を考える、暗い海の底をもがくような日々でした。
これを読んでくださっている方も、ひょっとしたら、そういう暗い日々の中にいるのかな。
「もう頑張れない」と思ったときは “既に頑張り過ぎ”
今だからわかることですが、「もう頑張れない」と感じるときって、既に頑張り過ぎだったんだな、と。
それなのに「まだ頑張らなきゃいけない」と思っているから、「もう頑張れない」につながっていく。
だから、必要なのはもっと頑張ろうとすることではなく、頑張るのをやめることであり、頑張らずにすむ方法を考えることなんだと思います。
…でもきっと、あの時の「もう頑張れない」と思っている自分に、
「いや、あなたはもう頑張り過ぎてしまっているから、頑張るのをやめましょう」
と言っても、きっと信じてもらえないだろうな。
いやいや、周りと比べたら自分なんて全然頑張れてないし、それなのに「頑張り過ぎ」だなんて、そんな風に思えないよ…って思う気がします。
でもココに、「もう頑張れない」と思ってしまう人の傾向があるのかな、と思っていて。
「頑張れない自分」を他人と比較する必要はない
「みんな頑張っているのだから、自分ももっと頑張らなきゃ」
って、よく思っていました。
そもそも自分は要領が悪く、人一倍頑張らないと “みんな” と同じにはならないし…って。
一方で、周りの人よりも疲れやすいような気もしていて、頑張らなきゃいけないのに、思ったように頑張れない…とジレンマを抱えていました。
※後に疲れやすい気質なのだと納得したので、その件はこちらの記事に。
結局、頑張るためのエネルギーの総量も、疲れやすさも人によって違うんですよね。
だから、「もう頑張れない」という思考の根っこには、他人と比べて劣っている自分への焦りがあるのかな、と。
焦って、頑張って、頑張り過ぎて、自分が空っぽになっていく。
人生って、みんなと同じように生きることが目的じゃない。
生まれて、時間を過ごして、寿命になったら終わる、ただそれだけ。
だったら誰かにあわせて頑張る必要なんてないのかも、と思ったんです。
もう頑張れない人へ、頑張らなくていい方向へ進もう
結局わたしはどうしたかと言うと、自分を頑張らせなくてすむ生き方を考えるようになりました。
「もう頑張れない」と思ってしまうほど頑張り続ける人生なんて楽しくないし、結局いつかは死ぬのなら、もうただただ楽しく生きていたいな、と思ったから。
あまり人と会わなくていい働き方に変えて、自分で仕事量や働く時間を決められる裁量のある仕事にして、人付き合いも本当に心地よいと感じる友人達だけにして。
「どうしたら頑張らなくて良いかを考える」というと、なんだかすごく怠け者みたいなのだけど…(実際そうかもしれないけど)。
でも、「頑張り」の方向性って、本来はそうあるべきじゃないかなと思うんです。
自分をラクにするために頑張る。楽しくするために頑張る。
だから、頑張ること自体に自分が疲弊してしまうのだとしたら、それは頑張り方や方向性が間違っているのかもしれません。
「もう頑張れない」と思った人は、既によく頑張っていて、これからは頑張らない方法を探っていってほしいな…
と思って、ここまで書き記してみました。何か参考になったら嬉しいです!
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