無理して頑張ることが辛いと感じたら「ただ生きている」を感じてほしい

先日キャンプの記事で、「ただ生きているという感覚が好き」と書きました。
(※参照:夫婦2人でキャンプする楽しさ

みなさんは日常で「ただ生きているだけで幸せだなあ」と感じていますか?

正直に言えば、私は意識しないとその気持ちを忘れてしまいます。だからこそ、キャンプに行ったり、自分と向き合う時間をつくることで、その感覚を思い出しています。

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ただ生きているという感覚

私の場合、自然の中にいると「ただ生きている」という感覚を味わいやすいです。

その理由はおそらく、自分が自然の一部であることを感じるからだと思います。

太陽の光を浴びると気持ちが良いし、暗くなれば自然と眠たくなって、朝日が昇れば目がさめるんです。人間も生き物なんだなあ、といった感覚でしょうか。

キャンプの時はあまり時計も見ません。時間の概念から離れます。そこにあるのは陽が出ているかどうかという感覚だけです。時間の概念に縛られないと、ものすごくラクなんですよ。

そして同時に、日々時間の概念にとらわれていることを思い知らされます。「○時までに××をしなきゃ」というタスクが、1日にかなりたくさんあるんですよね。

そりゃあ頭は疲れます。自分の脳は本当に毎日良く頑張っているなとさえ思います。

個人的には、朝日が昇るタイミングで起きて、暗くなったら寝たいです。夏の猛暑や冬の寒い日は家の中で静かに過ごしたいです。

人間も生き物だから、本当はそういう生き方が一番身体にとってラクなのでは?と思うんです。

自然の中に身を置くと、「無理しても意味ないよな」と感じます。

緑の草原の中でポツンと座って、目を閉じて余計な情報を遮断します。感じるのは風が身体にあたる感覚と、自然の音だけです。

自分が何もしなくても、自分は生きている。ただ、生きているんです。

それは本当に幸せなことです。

 

「生きる」を感じると無理をしなくなる

自分が何もしなくても生きているということがわかると、「無理して頑張らなくても良い」という感情が起こります。

最低限のご飯を食べて、睡眠さえとれば、人は生きられるんですよ。

じゃあその最低限を確保して、全力で「生きる」を楽しみたいと私は思います。

なぜだかわからないけど、社会は競争をさせたがるんですよね。対立構造を生み出してみたり、誰かを蹴り落とすことで上に登れる構造になっていたり。

無理して頑張って心が疲弊している時は、他人と競争してしまっている時だと思います。

たしかに、ある種の競争が必要な時もあります。ビジネスにおいては競争は不可避です。

でも、「人生」に関しては競争なんかしなくても良いんです。他人の人生と自分の人生を比較することはできません。良い悪いの概念自体がないんです。

もし誰かの人生を蹴り落とすことでしか生きられないのなら、それは私にとって楽しく生きることが不可能であることを指しています。

誰かを蹴り落としてしまった時の感触よりも、誰かの手をとって一緒に歩く時の感触の方が、ずっとしあわせだからです。

「ただ生きていく」のだとしたら、私は周囲の人と協力して生きていきたいし、無理して頑張り続けるのではなくて、自分の思うがままに生きたいと思います。

 
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「やりたくないことを、やっている暇はない」に納得
夫婦2人でキャンプする楽しさ
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