「自分は何がやりたかったか、もう一度考え直したんだ」
20代最後の年、6年間働いた会社を辞めた友達が言った。
「来月から、家具職人見習いになる」
その友達とわたしは、仕事に関する考え方がよく似ていた。
就職活動の時、志望している業界や企業もほぼ一緒だった。
結果的に私は文房具メーカーに、友達は「私がとても行きたかった会社」に就職した。
だから勝手に「わたしが選べなかった道」というフィルターを通して、友達の人生をまぶしく見ていると思う。
わたしたちは、
選んだり、選ばなかったり、
選ばされたり、選べなかったりして生きている。
わたしは一度選んだ文房具メーカーを、2年も経たないうちに辞めることを選んだ。
企業に再就職することは選ばず、フリーランスの働き方を選び、今に至る。
もちろん、今も、毎日選び続けてる。
何をするか、誰と、どこで、どんな風にするか、逆に、何をしないか。
誰かが選択するたびに、「選ばなかった人」「選べなかった人」「選んでもいない人」からの言葉を浴びる。
「あんなに良い仕事、もったいない」
「まだココでやれることがあるのに」
「この歳から挑戦するなんて」
でも本当は、損か得か、合理的か合理的じゃないか、みんなが納得してくれるかどうかは、関係ないんだと思う。
自分が選びたいかどうか、それが最優先。だって、決めるのは自分。
わたしはそう思うから、友達が30歳を目前にして家具職人の見習いになることにも、あまり驚かなかった。
むしろ、とても良いな、と思った。自分で決めたんだな、と。
その選択は、とてもまぶしいな、と。
今、20代最後の夏を迎えているわたしの周りには、自分で自分の人生を選んでいく人たちがいる。
会社を辞める人、新しい仕事をする人、今の場所で活躍する人。
結婚する人、しない人、子どもを産む人、産まない人。
この選択問題には正解なんかなくて、正解だったと信じることだけが唯一の答え合わせ。
さあ、わたしは何を選ぶか。
自分の「これから」を作る選択は、自分にしかできないから。
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