優等生は疲れるし、生き苦しい…だから優等生を辞めてみた

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ずっと “優等生” として生きてきました。

学校の勉強を頑張ってきたのはもちろん、まわりから浮かないようにいろんなことをソツなくこなして。

期待に応えること、役に立つと思ってもらうこと、そのために頑張ること。

ずーっと当たり前のようにやってきたけど、ずっと他人基準で生きるのには無理がありました。

「自分には価値がない」と思っているから優等生を演じる

広辞苑によると、「優等生」は以下のような人のことだそう。

  1. 学業に励み、成績優秀な生徒・学生。
  2. 優秀だが、面白味に欠け融通のきかない人。

学業に励むこと自体は良いことかもしれないけれど、自ら優等生を演じてしまう人の場合、その動機が「親に喜んでほしいから」「周囲の人を失望させたくないから」ということが多いんじゃないかな。

わたしは勉強自体はとても好きだし、誰かのために勉強をしていたワケではないんだけれど、それでも「親を悲しませないために、学校生活が充実したものでなければならない」と思っていた時期がありました。

いじめにあっても言えない。優等生でなければならないという呪い

小学生の頃、両親が離婚して、わたしは物心ついた頃から母子家庭で育ちました。

母親は、おそらく何らかの理由でしばらく離婚の事実をわたしたち(私と妹)に告げずにいたので、いつ離婚をしたのかは知りません。気付いたら父はもう家にいなかったし。

女手ひとつで育ててくれている母に迷惑をかけてはいけないという気持ちと、

母が誇れるような良い子でなければ、父との間の子どもであるわたしは捨てられてしまうのではないかという不安と。

実際のところ母はそんなこと思っていなかったと思いますが、幼いわたしはどうしてもそういう不安を抱えずにいられなかったんだと思います。

小中学校と成績は優秀だったし、学級委員や生徒会をやったりと、絵にかいたような優等生でした。

しかし、中学に上がって、わたしはいじめにあうようになりました。でも、そんなことを母に言うワケにはいかない。

自分は優等生でなければならないと思っていたし、優等生はいじめなんかされるわけにいかない。そう思って、ギリギリまで黙っていました。

(結局先生に発見され、親の知るところとなり、母は「頑張る必要なんかないよ」と言ってくれたのですが)

幼い頃の「優等生であらねばならない」という気持ちって、大人になっても引きずりがちです。

わたしは社会人になってからも、「ちゃんとした社会人になって、母を悲しませないようにしなければ」と考えていたフシがあります。

大学を卒業して入った会社で上手くいかず、2年目になって体調を崩しメンタルクリニックに通い始めたときも、なかなか言い出せず。

いよいよ倒れてしまったときに、はじめてこう思いました。

この生き方、無理があるかもしれない

期待にこたえなくていい、迷惑をかけてもいい

優等生を演じている人は「誰かの期待にこたえなければならない」「人に迷惑をかけたくない」という気持ちが強いんじゃないかと思います。

どちらの場合も、優等生を演じている限り、自分軸で生きられなくて辛いですよね。

わたし自身、もはや優等生であることが当たり前になっていたので、物理的に倒れるまで自分が無理している感覚がなかったんです。

それでも、自分軸で生きていないというのは、やっぱりどこかで無理のしわ寄せがきてしまうのかもしれない。

そうなる前に、どこかのタイミングで、一度立ち止まってみてほしいです。

「自分は、本当にこうやって生きていたいのか?」

「誰かの期待にこたえようとしていないか?」

生きてる時間って、そんなに長くないです。しかも、いつかは絶対終わりがやってきます。

もう、優等生を演じなくても、いいんじゃないかな?

まとめ

「誰かの期待にこたえる」「人に迷惑をかけない」というのは、それ以外に生きる術を見いだせなかった幼少期の自分の最大限の戦略だったんだと思います。

でも、大人になった今、わたしはもう優等生を演じなくても生きていける

いつまでもその戦略に頼る必要はないし、「自分はどうしたいか」で生きても大丈夫です。

どうしても他人の顔色をうかがってしまう人は、こちらの本がおすすめ。何度も読み直している大事な本です。よかったら、ぜひ。

 

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