日常生活の中にも、ツイッターなどのネット世界にも、何かを批判している人がたくさんいます。
批判すること自体は別に問題ないと思うし、私もやります。
ただ、批判して消耗する人と、批判して成長する人の間には、大きな差があると思っています。
批判することで消耗してしまう人
人をまったく成長させることのない、もったいない批判は次のようなものです。
・「自分の方がすごいのに!」という妬みから生まれる批判
・正義のヒーローを気取って個人を一方的に攻撃するだけの批判
・被害者意識バシバシの「私かわいそうでしょ!」という批判
いますよね~。うんうん。
こういう負のエネルギーって、使い方によってはものすんごい偉業を成し遂げるぐらいのプラスのエネルギーになると思うんです。でもこういう批判をすることは、そこまではしないんですよね。
この場合、自分を守るために必死なんです。たぶん、繊細な人なんです。
自分を守るために批判をすることで、「自分は間違ってない」「正しい」と、一時的には思うことができるかもしれません。
でも根本的な解決にはなりません。私が思うに、こういう人は「自分自身を認められていない」のです。
自分で自分を認められている人であれば、他人の評価は気になりません。また、他人と自分を比較することもしません。
他人を批判することにエネルギーを使うよりも、自分と向き合うことにエネルギーを使った方が、幸福感を持ちやすくなるのではないかと思います。
結局どんなに自分が声高に批判したとしても、他人を変えることはできないんです。
あのデール・カーネギーさんも『人を動かす』の中で言っていますよ。
「誰かを変えたいって?もっとよくしてあげたいって?いいね、うん、実にいいよ。でも、まずは自分から始めたら?」
(原著『How to Win Friends & Influence People』p13より引用+意訳)
批判の気持ちを持つことで成長できる人
一方で批判の気持ちをプラスのエネルギーに変えられる人もいます。
そういう人は自分を守るために批判するのではなく、「こういうことが問題だ。自分には何かできないだろうか?」と考えます。
そして、ただ単に口先だけで批判するのではなく、実際に行動に移します。ここ大事です。
もし「こういうことが問題だ」とただ口先だけで批判するのなら、「自分を守るための批判」とあんまり変わらないです。
「批判」ってある種の人にとっては、かっこよく見えるんでしょうね。「論理的に考えられている自分!」みたいな。
大学の時もディベートで批判するだけ批判して、「どうすれば良いと思うのか」を言ってくれない人、いました。批判なんて誰だってできますからね。
批判の気持ちを持って成長できる人とは、その批判をもとに「じゃあ、自分は何ができるのか」を考え、実行できる人だと思っています。
関連して、先日読んだイケダハヤトさんの『旗を立てて生きる』の中で、共感した部分を引用します。
誰かが何かの失敗をしたさいに、「それは自己責任だ」という非難をよく耳にします。(中略)問題意識を持つということは、こうした「自己責任」で片づけられてしまいがちな問題の解決を、一人ひとりがこの手で引き取っていくことでもあります。
(本書p167より引用)
すべてのことに私自身が責任を持つことは難しいですが、何かを批判したいと思った時に「では、自分は何ができるのか」を考えて、小さなことでもやってみるのが良いと思っています。
例えば私は以前「会社員一択という就職活動」について不満を持っていました。これを批判するだけならば簡単です。しかし、自分は何ができるのか?そう考えてフリーランスになって、こうしてブログを書きつつ、もっと自分ができることがないか探している状態です。
「自分を守るため」ではない批判の多くは、社会システムに関する不満からくるものではないかと思います。
なぜそのような事象があらわれてしまうのか。どういうシステムがはたらいているのか。それを考えるだけでも、今の自分にできる小さくても大切なことが見えてくると思います。
不満から他人を攻撃するのではなく、社会システムの改善というプラスのエネルギーに変えよう。
これがこの記事で言いたかったことです。
▼今回ご紹介した本、オススメです。
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