他人の人生に対して「こうすべき」とか「これはやらない方が良い」とか、求められてもいないアドバイスをする人がいます。
でもこういう人たちって、お世辞にも幸せそうには見えないです。
むしろ求められた時だけアドバイスをするような、普段は見守るスタンスを取っている人の方が、心が豊かに見えます。
他人の人生に対して不要な口出しをしてしまうかどうかは、自分の人生に集中しているかどうかの違いだと思うんです。
他人の人生に口出ししてしまう人
「他人の人生は他人のものだから、その人の自由に生きればいい」
たぶん多くの人がわかっていることだと思います。
でも、求められてもいないアドバイスを、他人に押し付けてしまう人がいる。
…実はわたしも一時期、そうなってしまった時がありました。
「こうした方が良いのに」にハマってしまって、おせっかいにもその子にアドバイスしたり、本人がいないところでも「あの子、こうしたらもっと良いのにね」みたいなことを話してしまったり。
でも今は、他人が何をしようが、正直に言ってしまえば「どうでもいい」と思ってます。
もうちょっと丁寧に言えば、「何でもやってみたら良い」っていう感じです。
昔と今では、「自分の人生に満足しているかどうか」もしくは「自分の人生に集中しているかどうか」という点で大きく異なります。
他人に不要な口出しをしてしまっていた時期は、いろいろと我慢してしまっていたことも多く、自分の人生にどこか不満を持っていたんです。
自分の人生に不満があると、どうして口出ししたくなるのか
自分の人生に不満があるなら、その不満を解消することが、直接的に自分の人生を楽しくできる方法ですよね。
でも、その不満を解消せずに、他人への口出しというエネルギーに変えてしまう人もいる。
その大きな理由は、以下の2つなんじゃないかなと思います。
- 自分の人生を直視するのがこわい
- 自分を差し置いて他人が成功していくのがこわい
自分の人生を直視するのがこわい
ふつうであれば「自分の人生の不満を解消すること」が最も効率的な手段のように思えますが、
その不満を解消するためには、何らかの変化が必要な場合が多いです。
人間も生物なので、根本的にはリスクよりも安定を好みます。ちょっと不満があっても、安定している今に居心地の良さを感じるのです。
変化すれば、不満は解消するかもしれないけど、もっと悪化するかもしれない。
そういうこわさから、変化したいけど変化したくないみたいな、矛盾した気持ちが生まれます。
この居心地の悪さから目を背けるために、他人の人生にばっかり集中するんだと思います。
他人が成功していくのがこわい
求められてもいないのにアドバイスをしてしまうとはいえ、アドバイスはアドバイスだから、いっけん他人が向上するために発信されているように見えます。
でも、違うんです。この種のアドバイスのようなものは、そんなキレイなもんじゃない。
本当の目的は、相手を自分の世界におさめておくことだと思います。
自分の思い通りにコントロールすることと、自分がわかる世界の中に閉じ込めておくことです。
だから説得のニュアンスが強くなるし、「どうにかして自分の思い通りにしよう」という気持ちが背景にあります。
自分より先に変化して、自分と相手の世界から相手が先に出て行ってしまったら、自分の人生と対峙できていない自分は、困ってしまうのです。
まとめ
時間を持て余してる(ヒマな)人とか、何かを我慢している人が、求められてもいない「ご意見」を押し付けてしまいがちです。
逆に言えば、自分がそんな状況に陥っている時は、他人にあーだこーだ言う前に、自分に目を向けてあげる必要があります。
こわいかもしれないけど、自分の人生と向き合った方が、絶対良いです。他人の人生に口出しし続けても、何も変わりません。
一方で、誰かから求めてもいない「ご意見」をもらった場合は、自分の人生に満足できていない人からの「ご意見」だと思っておけば良いと思います。
自分の人生に集中して生きてたら、他人の人生に求められてもいない口出しをしているヒマなんて、ないですよ。
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