「極めよう」と思って極めた経験がほとんどないことについて

数ヶ月前に『オールラウンダーではなくエキスパートになりたい』という記事を書いたのですが、今もこの気持ちは変わっていません。

また、以前はこんな記事も書きました→『ライターとして稼ぎたいなら、『愛好家』ではなく『専門家』へ

そこそこの知識って、誰にでもできるんですよね。しかし、専門家レベルの知識は誰もが持っているわけではありません。ライターとして記事を書くための専門性は、稼げるライターさんなら持っていることでしょう。

しかし、実は私は「何かを意図的に極めた」という経験がほとんどないんです。

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カメラのマニュアルフォーカスは興味ない

例えば、私は写真を撮るのが好きです。構図を考えたり、明るさを調節したり、自分が撮りたい写真を撮るために工夫してみます。

じゃあカメラを極めたいのか?というと、実はそうではないんです。

マニュアルモードでこういじったらこういう風に写って……というのがわかれば楽しいのかもしれませんが、今のところ魅力に感じてません。

だって、オートでも十分キレイな写真が撮れるんですもん

マニュアルにしか再現できないこともあるのでしょうけど、マニュアルで調整する手間を省いてくれたのがオートなので、それは上手く利用したいです。

この考え方、ゆとりって言われそう……w

当然ながら私はプロのカメラマンではないので、カメラを自由自在に操って写真を撮りたいという気持ちがありません。瞬時に自分の撮りたい写真が取れればそれで良いのです。

写真を撮ることは自分の思考を表現する手段の1つであり、目的は「表現すること」であって、「カメラを操ること」ではないからです。

ただし、構図を考えたり、適したモードを考えるといったようなある程度必要な操作には、もちろんちゃんとこだわりますよ。

すべては自分の目的である「自分が求めるレベルの表現をすること」を達成するためです。

 

何のためにそれを極めるのか

正直、何かを極めてる時って「極めよう」と思ってやっていないと思うんです。

その先に別の目的や目標があって、それを達成するために極めてると思うんですよね。

私は英語学習や教育が専門分野ですが、英語を極めようと思って勉強してきたわけじゃないんです。外国人の○○さんと話したいなとか、英語で本を読みたいなとか、その先に目的があるわけです。

英語に関しても、目的のための勉強ではなくて、英語を勉強すること自体が目的になっている場合はたいてい習得できませんよ。

それは、仕事も人生も同じだと思うんです。

手段が目的になってしまうと、ある程度のところで止まっちゃうような気がしてます。

前にも記事で紹介している本で述べられている通り、WhatやHowの部分を考えてばかりいないで、そもそもWhyから始めるべきなんですよね。
(過去記事参照:ランサーズにおける低単価と高単価案件の違いを考察してみます

手段と目的、しっかり意識しておきたいところです。

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