「変わってる」を隠さずに前面に出したら、もっと自分らしくいられるんじゃないだろうか

「変わってるね」と言われたり、「自分はこういうところが人と違うな」と思ったり、そういう “人とは違う自分” を見つけたとき、どうしますか?

人と異なる点が一般的にプラスなものならば “長所” になりますし、そうでなければ “短所” とされます。

わたしは学校や会社で周囲の人が当たり前にやっているような集団行動が苦しくて、それは一般的には “短所” に分類されると思います。だからその “短所” をどうにか隠したくて、取り繕ってしまいがちでした。

しかし「これからは “異なる点” をもっと前面に出していきたいな」と思ったので、そのきっかけを書いておきます。

“異常な一点” こそ大切にした方がいい

どこかの国に、「優れるな、異なれ」とのことわざがあるそうです。

クオリティーの優劣で勝負したら、優秀なものや人は存在するし、たとえ最高のクオリティーになれたとしてもいつかは抜かれます。でも、オリジナリティーはどこまでいっても、唯一無二のもの。

(『天才の証明』p64より引用)

オリエンタルラジオの中田敦彦さんの著書『天才の証明』に書いてあった「優れるな、異なれ」について、しばらく漠然と考えていました。

そんなときに、こちらの記事を読んで、ハッとしました。

そもそも、世間との摩擦や違和感がなければ世に出す必要がないわけで。この世と交わらない一点をしゃべりながら探していく。だから意外と本人が気づいていないことのほうが多いですね。「あなた、そこ異常だよ」みたいな。

http://logmi.jp/252736より引用)

堀江貴文(ホリエモン)さんなどの著書を手掛ける人気編集者の箕輪さんによる、「どのように世間にウケる著者の魅力を見出すか」というお話の中の一節です。

この “異常な一点” を活かすことで、多くの人に届く本をつくっていくとお話されています。

「優れるな、異なれ」の「異なれ」に当たる部分は、この記事の言葉を借りれば「世間一般との違和感」とも言えます。

要するに、「変わってるね」と言われたり「自分はこういうところが人と違うな」と思う部分であって、それが短所だったとしてもOKなんだと思いました。

むしろその “異常な一点” を隠していたら自分も生きづらいし、本当はその部分こそが誰かの欲しているところだったりするのかもな、と。

だから私は、かっこつけるのをやめる!

冒頭に書いたとおり、わたしは人付き合いがヘタクソです。

例えば学校の放課後にダラダラと教室でしゃべるみたいなのができず、授業が終わったら速攻で帰る人でした。「付き合い悪いな」って何度言われたことか。

「ひとりでいると寂しい」という感覚があんまりなくて、ひとりでピクニックとか全然行きます。ひとりピクニック最高なので、今ミニサイトをつくり始めたところです。

でもコレを人に言うと、「えー!ひとりでピクニックとかちょっと寂しい」と言われることもあります。だから、寂しいって思うのが多勢なのかもしれません。だとしたら、これも “異常” なのかもな~、と。

このように、割と一匹狼的な生き方をしているんですが、「ブログやSNSだけ見ていると、普通に人付き合い上手そうなのにね」と言ってもらえることも多いです。

だから……かっこつけていたつもりはないんですが、たぶん、かっこつけているんだと思います。なんかダサいですね。

こういう “異常性” を取り繕うことなく、自分の特性だと思って上手く活かしていきたいなと感じました。

まとめ

Twitterやブログを見てくださっている方のイメージと、現実世界の自分は、前々からちょっとズレているなと思っていました。

ネット上の発信がちょっと「美化した自分」になりすぎていたんです。

当然その原因は、わたしが「ちょっとオシャレな人って思われたい」とか「良い人って思われたい」とか、そんなダサいことを考えていたせいなんだと思います。

わたしはもっともっと自分らしく生きたいし、そういう生き方を発信していきたいから、かっこつけるのやめる!!

そんなワケで、ちょっとずついろんなところを見直してみます!

▼中田敦彦さんの『天才の証明』の内容は、こちらの記事でも書いてます。

自分の才能を見つける―中田敦彦さんの『天才の証明』で大事だと思った3つのこと

2017年11月5日

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