誰かに見せるためではない時間、ちゃんと取れてますか?

今日のご飯をツイートしたり、インスタ映えを求めて街を歩いたり、気づけば「誰かに見せるための時間」が自分の生活を支配しているように感じる時があります。

わたし自身はSNSに日常をアップすることを悪いことだとは思っていないし、むしろそれは他者とのコミュニケーションの形のひとつだと思っています。

ただ、何事もやりすぎは良くないと思うんですよね。

そういう毎日の中で、ふと「むなしいな」とか「苦しいな」って思ったりしたら、それはたぶんやりすぎなんだと思います。

誰かに見せるためではない時間、ちゃんと取れてる?

TwitterやInstagramに写真をアップしたり、その日のことをブログに書いたり、動画に乗せたりするような時間は、「誰かに見せるための時間」だと思います。

その反対は「誰かに見せるためではない時間」となりますが、コレが足りてないと、「誰かに見せるための時間」も楽しめないと思うんです。

なんかこの時間の分け方って、民俗学で言う ”ハレとケ” と似ているなぁと思ってます。

「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。
民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。

Wikipediaより引用

「ハレ」は「晴れ舞台」とかで使うような感じで、イベントごとの時のこと。それに対して「ケ」は普段の日常のことを表してます。

で、これをちょっと飛躍させて考えると、「誰かに見られる」ということを意識した時間は「ハレの時間」だと思うんですよね。本来は、ちょっと特別な時間のこと。

リアルだったら、イベントとか、講義とか、発表会とか。ネットだったら、SNSも入ると思います。

「ケの時間」は、誰かに見せることを考えていない状態の、普段の自分の時間のことでしょう。

誰かとつながる時間は、今後もっと増えていく

で、わたしはこの「ハレの時間」は、今後もっともっと増えていくんじゃないかなと思っています。

今28歳であるわたしでさえ、小学生の頃から友達とチャットやメールでやり取りしてました。わたしよりも若い人たちは、もっと繋がっていることが当たり前な世代だと思います。

物心ついたころからLINEがあって、誰かと四六時中繋がっているのが当たり前。そして、きっとこれからはもっと繋がるのに便利なツールが増えてこの流れは加速していくんじゃないかと思ってます。

そうすると、日常の中で、圧倒的に「ハレの時間」が増えます

とはいえ、人間が「ハレの時間」だけで生きていけるかと考えると、それはちょっと疑問です。

誰かと話すためには、自分の意見を持っていないといけない。自分の考えを持つためには、自分と向き合ったり、自分で思考する時間は必要だと思います。

だから、意識して「ケの時間」を取らないと、たぶん苦しくなるんだと思うんです。

まとめ

SNSに日常をアップして「いいね」をもらえたり、誰かが反応してくれたりするのは、嬉しいことだと思います。

(本当に嬉しくない人は、SNSをやってないと思うので)

それが嬉しくて「誰かに見せるための時間」を追い求めてしまいがち。だからこそ、誰にも見られてない、自分だけの時間を意識的に取った方が良いと思います。

自分としっかり向き合う時間を取るからこそ、誰かとコミュニケーションを取るのが楽しくなると思いますよ!

 

――――――――
ライター*マツオカミキの詳しいプロフィールとお問合せはコチラからお願い致します。
マツオカミキの実績&お問合せ

ブログ更新はTwitterにてお知らせしております。
ぜひフォローお待ちしております!
@matsuo_mk

スポンサードリンク